鏡山遍路道について

 標高284m、国の名勝・虹の松原や唐津湾を見渡せる唐津市の名勝である鏡山、その山頂付近にこの遍路道はあります。

 昭和2年に大聖院(唐津市西寺町)が発行した「唐津四国札所案内図絵」によれば、鏡山文殊堂が第31番札所になっており、その説明文の中に「常吉太郎氏の創設鏡山八十八ケ所あり」とその存在が記されています。

 

 唐津は字の示すとおり「唐(中国)」と結びつきの深い「津(港)」であり、804年第18(16)回遣唐使で空海(弘法大師)が唐に渡った場所でもあります。そのためか、お大師講も盛んで明治には数か所の四国88か所巡礼地があり、信仰心の篤い信者が多数存在し、その数は1万人を超えていたようです。

 しかし、昭和16年第2次世界大戦が始まると、民間信仰の講社は内外から変貌し、戦後は五つの巡礼団に分かれ、時代と供に変貌していきます。この鏡山八十八か所でも昭和26年に智鏡山常照院が「鏡山新四国八十八ケ所」を新たに創設し、遍路道も時代に合わせて変貌したことが伺えます。

 

現在でも、鏡山東部一帯に創設当初のルートの一部がそのままの状態で残っています。この貴重な歴史遺産を唐津市民はもとより全国の皆さんと共有し、トレッキング道として楽しみ、四国遍路の疑似体験をしていただき、大切な何かを感じていただきたいと思います。


唐津四国八十八ケ所に関する資料


唐津四国札所案内(昭和2年 西寺町大聖院発行)

 三十一番

「鏡山文殊堂あり。途中十一面観音に参拝、頂上に達すれば、名高き鏡山の風光目前に展開す。山上には常吉太郎氏の創設鏡山八十八ヶ所あり。鏡山東部一帯に亘り、或は断崖絶壁、或は巨岩怪石の勝地を取り、眺望絶佳の風光と共に理想的八十八ヶ所にして、僅かに半日の暇を以て巡拝するを得る様目論まれたる霊場なり。鏡山八十八ヶ所の巡拝を終れば鏡山稲荷神社あり 」 

資料提供:西寺町 大聖院


昭和26年常照院発行パンフレット

資料提供:山内薬局 吉冨寛 氏


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広瀬 茂   鏡山遍路考
鏡山遍路考 -2015. 11.6.pdf
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2016年7月、新たなことがわかりました。

へんろ道にある文殊堂(寺)の前にある石碑を解読した結果以下のことがわかりました。

文殊堂は昭和14年に建設され、その時に石仏53体が新調設置されたと石碑に書かれています。

常吉太郎氏は昭和20年病にかかり、昭和22年亡くなられています。鏡山頂上一周の88か所を完成させることが氏の夢であり、死死後、嗣子常吉克治氏を中心に関係者が氏の意思を引き継ぎ、昭和26年に鏡山新四国88か所が創設されたようです。

昭和32年に日高三嘉氏により常照院が新たに建造されると、その後は常照院を中心とした活動になったようです。昭和26年当時は鏡山を1周するルートだったと思われますが、昭和30~40年代には常照院を起点、帰着するルートになったものと思われます。

 

今後さらに調査を深め、上記の調査報告書「鏡山遍路考」を書き直す予定です。広瀬 (2016.9.22)


■2015.11.6 鏡山遍路考を加筆修正しました。

後藤為義  

巡礼唐津四国八十八カ所(1)   郷土史誌 末蘆国 第101号


後藤為義  

巡礼唐津四国八十八カ所(2)   郷土史誌 末蘆国 第102号


後藤為義  

巡礼唐津四国八十八カ所(3)   郷土史誌 末蘆国 第108号


後藤為義  

巡礼唐津四国八十八カ所(4)   郷土史誌 末蘆国 第109号


後藤為義

巡礼唐津四国八十八カ所(5)   郷土史誌 末蘆国 第110号


丸田利実  

高野山に松浦の信仰を灯す奥の院灯籠堂の石灯籠     

郷土史誌 末廬國 第128号